2017年08月24日

アマチュアの人が聴いて歌いやすいものがヒット性が高いことを学んだ。 “天才少女”と呼ばれていた天童よしみ

いつもありがとうございます。






子どもの頃から
のど自慢荒らしとして知られ、
多くの大会で優勝。

その時準優勝だったのは
上沼恵美子だった。


download.jpg


父からはまず歌詞をよむように指導され、
分からないと言った時には
ものすごく叱られた。

小学校時代には嫌だと思うこともあったが、
父が嬉しそうに指導するため
帰宅後にレッスンに励み、
数多くののど自慢大会に出場し優勝。
プロを目指した。


8歳で演歌にハマる。



畠山みどりの曲で
こぶしをなかなか回すことが出来ず、
父の自転車の後ろで
初めてこぶしを回すことに成功した。

こぶしを回すことに魅力を感じて
演歌にハマった。



15歳で演歌歌手デビューを果たす。


母と2人で上京したが、
ヒットにめぐまれず大阪に帰った。

この時、父は「遅く歩け」と
言葉をかけてくれたという。


一旦は引退も決意するが、
大阪に帰省後もカラオケ教室で
歌を教えるなど、歌い続けた。


カラオケ教室は、
生徒が増え大盛況だった。


10年ほどカラオケを教えていると
カラオケ教室の生徒に
「大阪でカラオケ教室をしている」という話を
聞きつけたレコード会社から
声をかけられ、
再び歌手への道を目指した。

家族が味方してくれたことが
長い低迷からの脱出につながった。


歌を教える中で、
アマチュアの人が
聴いて歌いやすいものが
ヒット性が高いことを学んだ。


images.jpg


1985年12月にテイチクレコード移籍、
第一弾シングル「道頓堀人情」を
発売するにあたり、
北は北海道から南は福岡県まで
1か月で300件もの営業をこなし、
有線からじわじわと人気が出て、
結果ヒット作となった。


1996年に発売した「珍島物語」は
ロングヒットで130万枚を超える売上を記録。

自身初のミリオンセラーとなり、
天性のキャラクターと
相まって不動の人気を誇っている。


IMG_5642.jpg


すべてブレイクするには
10年が一つの目安なのかもしれません。


↓詳しくはこちらへ
https://www.naturalsuccess.jp/XJrCopywriterSchool/enter/#rHVHaS
posted by テルリー村上 at 06:46| 福岡 | Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする